ただ愛で在る

被虐待経験から究極の愛を学びました。善悪を超えたあらゆる愛について、気づいたことをありのままに綴ります。

名前

あなたはご自分のお名前がお好きですか。



私は自分の名前(本名)が大好きです。



私の名は祖父が名付けてくれました。


日本人なら誰でも読め、意味が分かり、呼びやすい単純明快な名前です。



今は大好きな名前ですが、昔はどうしても好きになれませんでした。


私は「ゆ」「あ」「ま」「さ」などの柔らかい音が好きで、


女の子の名前になぜこんな固く鋭い響きの音をわざわざ選んだのかと不満でした。


また自己紹介に載せたような境遇だったため、


祖父が幸せを願ってつけたであろう名前の意味が、私にふさわしいとは全く思えず、


自分で名前を書くたびにとてつもなく惨めな気持ちになることが何よりも辛かったからです。


ですからいつも他人の名前のように扱い、よそよそしい気持ちで接してきました。




去年の秋、これまでの自分の人生を完全に受け入れられた時に、私はようやく自分に与えられた名前を心から受け入れることができました。



一音一音をゆっくり声に出して、その美しい響きを味わいながら、何度も何度も自分の名前を呼びました。




すると、今までは霞んで遠くに感じていた名前が、眩しいほどの輝きと存在感をともなって自分の中に入ってくるのを感じました。




名前を呼ぶたびに喜びの涙が溢れて、全身に力がみなぎってくるのを感じ、





この名前はまさに私自身である!!






と生まれて初めて実感することができました。





名前には強い力があると感じます。



一音一音に宿る力。


一音一字が辿ってきた壮大な物語の力。


漢字、平仮名ともに、その名前の意味の力。




その名の持ち主が、心から自分の名前を受け入れ愛したとき、名前の持つ本来の力が発揮されるのでしょう。



名前を自書するたび。


名前を名乗るたび。


名前を呼ばれるたびに。




私たち日本人は、親しい間柄であっても苗字で呼び合うことが礼儀にもなりえますが、


私はいつでも名前で呼ばれたいと願います。


私にとって名前を呼ばれることは、失礼どころか喜びでしかありません。


また私がどなたかのお名前をお呼びする際には、


その方の魂に語りかけるように大切にお呼びするよう心がけています。





あなたはどんな美しいお名前をお持ちですか。






どうぞあなたの優しい声で、


ご自分自身に向けてお名前をお呼びください。


あなたに与えられたそのお名前は、


あなたに愛され、優しく呼ばれるのを待っています。







今日も読んでくださってありがとう。