ただ愛で在る

被虐待経験から究極の愛を学びました。善悪を超えたあらゆる愛について、気づいたことをありのままに綴ります。

両親に会いたい2

☆ご注意ください☆
この記事は、被虐待当事者にフラッシュバックが起きる可能性が非常に高い内容です。

また非当事者であっても、想像以上の強いストレスを受けてしまう可能性が十分にあります。

少しでも不快に感じられましたら、すぐに閲覧を中止してご自分をお守りください。

この記事はずっとここにありますので、あなたが安全な時にいつでも読むことができます。

どうぞご無理をなさらず、どなたもご自分の安定した感覚、十分に安全なスペースを最優先になさってくださいね。





それでは続きにまいります。




「愛ちゃんって、、、」





「ご両親に大切に育てられたお嬢さん、という感じ」


「何をやっても許されて、のびのびと育ってきたでしょう?」


「ご両親に小さい頃からずっと可愛がられてきたでしょう?」


「箸より重いもの持ったことなさそうだよね(笑)」


「箱入り娘でしょ?苦労したことなさそう(笑)」


社会人になってから私は、年上の方々からこのように言われることが度々ありました。

良い印象を持ってくださるのだから、ありがたいと思わなければと自分に言い聞かせながらも、傍目の印象と事実にはあまりの乖離があり、そのような言葉をかけられるたびにうんざりしていました。


両親と音信を絶っていた間も、年末年始や大型連休の前後になると繰り返される何気ない質問が、煩わしくて苦痛でなりませんでした。

必殺「実家には帰省するの?(したの?)」です。

「しない。」「していない。」と答えると、

殆どの方は当然のように、
「何で?」とおっしゃいます。

さらに、
「可愛い娘が帰ってくるのを楽しみにしていると思うよ?」

「ご両親寂しがってると思うよ。行ってあげたら?」

「顔を見せるだけでも親孝行だよ?」

「じゃ次はいつ会いに行くの?」
など、踏みこんだことをおっしゃる方もいました。


内心、放っておいて!と煩わしく思いつつ、ごく気軽にそうおっしゃるみなさんこそ、普通の親御さまにちゃんと愛されて育ったのだなと眩しく感じられました。



帰省して、親の前でくつろぐ。


実家に行けば安心して羽を伸ばせる。


親と一緒にいても、自分の心身が安全と思える。


このように甘い穏やかな関係を、生まれながらに享受している方には想像しがたいかもしれませんが、これは決して当たり前のことではないのです。

親御さまが時間をかけて、たくさんの愛を育み、安全な場を創り続けてくださったことの賜物なのです。



私にとっては、外の世界から自分を守ってくれるはずの両親が、外の人に見られない密室で自分に危害を加えるため、両親の住む家が世界で最も危険な場所でした。







「中学を卒業したら風俗で働いて、早く金を入れろ」




これは、私が風俗の意味も分からない小学生の頃から、繰り返し父に言われてきた言葉です。


父がこのような未来を娘に望んでいたという事実だけで、説明は不要かと思いますが、父は、私の希望を打ち砕くことを喜びに感じるような人でした。


虐待をする彼の目は輝き、私が激しい痛みに耐えている時や、私を深く傷つける言葉を放ったときには、普段は曇って不機嫌ばかりの顔が、みるみる生き生きとして喜びに溢れた表情に変化するのでした。


彼は、娘を虐待することで自らの精神を安定させているかのように見えました。






母は、父の機嫌をとることに全精力を注いでいました。


理由もなくコロコロと変わる夫の機嫌をとることに終始し、疲れ果てているように見えました。


彼にどんな屈辱的な言葉をかけられても、理不尽に怒鳴られても愛想笑いをして本音を言わず、外の世界に向かっては、幸せな家庭を演じて見せているようでした。



「腹が立っても絶対に言い返さず、グッとこらえなさい」


「人に苦しい顔を見せるのは恥ずかしいこと」


「相手がどんなに悪くても、自分が謝って場を収めること」


これらを母から折々に言い聞かせられました。
決して私をいじめるためではなく、母が私のためを思って親身になり伝えてくれていた言葉です。


彼女の追い詰められて歪んでしまった精神も、やはり娘を虐待することで何とか保てているように見えました。

けれど彼女の目に喜びはなく、必死で苦痛に耐えているように見えました。
彼女は虐待をしたあとに大抵、私の元に戻ってきて
「痛かったでしょう?こんなに腫れて、、、かわいそうに!」
「ごめんね!、、、ごめんね!!」
と大泣きしながら何度も謝ってくるのでした。


父が娘に暴力を振るう場面を見ても、止めることはなく
「女の子なんだから顔はやめて!!」
と、いつも遠くから父に訴えていました。





無力だった子供の私にとって、彼らの暴力から身を守る術は何もありませんでした。


けれど、これだけは死守しようと心に決めたことがあります。

それは理不尽な暴力に対する精一杯の抵抗で、私が誇りを保つためにできた、たった一つの行動でした。



「決して悲鳴をあげないこと。」


「決して泣かないこと。」



虐待が始まるのを察すると、私は瞬時に五感を閉ざしました。


肉が焼かれるような、えぐられるような痛み、視界が歪むほどの衝撃、関節が外れそうになる時の痛み、耳の奥の痛みと雑音、腫れて狭くなった口の中に広がる血の味、身体が壊されていく恐怖、、、

これらを出来る限り感じないよう無心になり、五感を閉ざすことにだけ全神経を集中しつづけました。

暴力を受けている間、視界はいつもスローモーションで見えました。

身体が倒れる時、視界はゆったりと優雅に傾いていきます。


私は人形のように無抵抗、無言、無表情で耐え続け、彼らが疲れるのを延々と待ちました。

「いつか、終わる。必ず、終わる。」

これだけを、頭の中で呪文のように繰り返しました。

のちに父は、そんな娘が気味悪く、子供ながらに怖かったと言っていました。




それとは別にもう一つ。


この地獄のような毎日に耐えられた、唯一の希望であり、真に私の心を守ってくれたものがあります。


それは、一人で静かになるといつも心に浮かぶ、美しい泉でした。


温泉のように、中心から新しい湧水が絶え間なく溢れては拡がり、キラキラと輝く透明な水で満たされた、雄大な泉です。



どんなに辛いことがあった日も、一人で静かになってからそっと心の泉を確認すると、そこには一滴の汚れもなく、透明な湧水が溢れる美しい泉が広がっていました。



それを見るたびに、

「大丈夫。こんなに痛めつけられても、この泉は何も汚れていない。だから私は絶対に大丈夫。」

と、不思議なくらい勇気が湧いてくるのでした。


泉の存在は私の最大の喜びで、平安を思い出す唯一の支えであり、その泉こそが、私の魂そのものであるようにも感じていました。





3に続きます。