ただ愛で在る

被虐待経験から究極の愛を学びました。善悪を超えたあらゆる愛について、気づいたことをありのままに綴ります。

両親に会いたい1

この記事は被虐待当事者にフラッシュバックが起きる可能性があります。


また非当事者であっても、想像以上のストレスを受ける可能性があります。


少しでも不快に感じられましたら、すぐに閲覧を中止してご自分をお守りください。


この記事はずっとここにありますので、あなたが安全な時にいつでも読むことができます。


どうぞご無理をなさらず、どなたもご自分の安定した感覚、十分に安全なスペースを最優先になさってくださいね。







私は約10年間、両親と連絡を断っていました。



彼らが私に与えたさまざまな行いをおぞましく感じ、


声を聴くのも恐ろしく、


メールや手紙で文字を読むだけで体が震えました。


彼らの名前を口にするだけで、


胃のあたりに真っ黒な墨汁が広がるような気分になり、


悪夢を見ては絶叫して目覚めました。





両親と断絶する以前の私は、親孝行の優しい娘を演じていました。


もちろん演じている自覚は毛頭ありませんでしたが、


今思い返せば、


ものすごく歪んだ仲良し家族の娘を全力で演じていたのだと思います。





その頃の私は、頻繁に両親を自宅に招き、


毎月のように彼らの髪を切り(髪を切るのは私の特技)、


全身のマッサージをし、手料理をふるまいました。


記念日には心を込めて真剣に選んだものをプレゼントし、


彼らを連れて何度も大好きな山登りに行きました。


一生の思い出を作ろうと憧れの山、富士山にも両親を励ましながら共に登りました。




私は両親が大好きでした。





彼らとの関係断絶を自ら決断したとき、


みなさんが生きている明るい笑い声あふれる世界から、


1人だけ真っ暗闇で音もない冷たい世界に切り離されたような途方もない寂しさと、


ここでがんばっても私の助かる未来は訪れないという、


諦めに似た魂が凍えるような孤独を感じました。






私はそれまで両親に反抗したことのない娘です。


彼らに従うことが当然の環境でしたし、


思春期の反抗期などとも無縁でした。


(20歳で一度、父と対決した事がありましたが、いずれ別記します。)


ですからこの私の意思表示は、


両親にとって非常に腹立たしく忌々しいこととなり、


しばらくの間は手紙やメールで一方的に責められておりました。




もう二度と両親と会えないかもしれない、


いいえ会いたくない!と思う反面、


レストランや公園で楽しそうに談笑する家族や、


腕を組んで仲睦まじく歩く母娘を見かけるたびに、


強烈な懐かしさで狂おしくなるほど胸の中をかき乱され、


必死で涙をこらえました。



「ごめんなさい。私が悪かったの。」


いっそのこと両親に謝ってしまえば、


何もかも元通りになるかもしれない、


今ならまだ間に合うかもしれないと


何度迷ったかわかりません。







私は、両親から愛され大切に育てられた娘という、



ありもしない幻想のかけらを探しつづけていました。






2に続きます。