ありのままに書く
このブログでは、特に虐待の描写など、目を塞ぎたくなるような内容も載せています。
最初は、もっとオブラートに包んだ表現にして、読み手のショックを和らげようと思っていましたが、すぐにその考えは改めました。
ほとんどの虐待の被害者たちは、大きな声を持ちません。
彼らは、非当事者である一般の方々の想像をはるかに超えるほど、深く激しく心が傷ついており、自分の体験を外に向けて語ることが強烈なフラッシュバックを伴い、自らの命を絶つことにもなりかねない、非常に危険な行為となりえます。
そのため、彼らの声はほとんど届きません。
そして虐待する者たちは、自らの行いを決して、死ぬまで、誰にも告白しません。
もし勇気を出して彼らに虐待を訴えても、ほとんどの者が行いを認めることはまずありません。
親子間であれば、
「お前はまだ幼かったから、記憶違いをしている」
「あまりにも言うことを聞かず、手がかかってどうしようもなかった」
恋人、夫婦間であれば、
「自分は暴力を振るいたくないのに、いつもお前が挑発する」
「お前が変われば、自分はこんなことをしなくて済む」
など。
ごく控えめな反応があったとしても、自分が暴力を行ったのは「全てお前(被害者)のせい」だと当然のようにあしらうでしょう。
もちろんこれら全てが事実とは異なります。
大人になれないまま亡くなった子供たち、助けが得られないまま亡くなった人々は、何も語りません。
ニュースでは衝撃的に報じられますが、それが映画やドラマの世界で起きる特別なことではなく、現実にたくさんの家庭で起きていると、見ている人々にどれほどの現実感を伴って伝わっているでしょうか。
暴力により亡くなった人々、過去に暴力に遭った人々は、ただの被害者でなく、あなたと何も変わりません。
夢があり、好きなことに夢中になり、お友達をユーモアで笑わせ、恋をして、兄弟姉妹に優しくし、両親を、恋人を、配偶者を、また我が子を、あなたと同じように深く愛しました。
今この瞬間も、たくさんの密室で暴力が行われています。
過去の暴力から逃れた多くの人たちも、癒えない傷を抱えて、その事を明かせないまま、必死で今日を生きています。
そんな彼らをメンヘラなどと揶揄し、侮辱する人もいます。
虐待者が、その残酷な行いを誰にも知られず堂々と生きていて、誰にも咎められない一方で、傷ついた人たちの行動だけが注目されて取り上げられ、侮辱の対象になっていることが、私には異様なことに感じられます。
これは虐待者の発想そのものですから。
私に何ができるかはわかりません。
けれど、せめて私はありのままに書きます。
何も飾らず、何も削らず、ありのままに。
今日も読んでくださってありがとう。