ただ愛で在る

被虐待経験から究極の愛を学びました。善悪を超えたあらゆる愛について、気づいたことをありのままに綴ります。

ぜんそくが教えてくれたこと3

重度のぜんそく患者だった私は、現在、一切の薬を摂っておらず通院もしておりません。


ぜんそくの症状である呼吸困難、胸痛、胸の圧迫感、絶え間ない咳などから解放され、健康を取り戻しています。


ささやかな私の体験談が、どなたかの希望になることを願ってやみません。




それでは続きにまいります。




症状だけが悪化していく中、何科を受診したらいいのか見当がつかない(心療内科へは行きませんでした)状態だったので、


ここへ来て呼吸器科を受診するという道が見出せ、少しだけホッとしていました。




最寄りの駅から電車で2駅、そこからバスで30分の場所にある、評判のよい呼吸器科の個人病院にかかることにしました。


バス停から病院までは徒歩で約1分の距離なのですが、たったそれだけの距離を歩くことが当時の私にはとても大変なことでした。


体を動かすということは、こんなにも酸素を必要とするのか!と痛感させられました。



目玉が飛び出そうなほどの息苦しさに耐えてようやく病院にたどり着き、


受付の女性から「今日はどうされました?」と声をかけられましたが、


受付のテーブルに両手をついてかがみ激しい呼吸にあえぐばかりで声も出せませんでした。



病院はとても人気があり待合室も混雑していたことが幸いして、診察までの間に呼吸を落ち着かせることができました。





「ほぼ間違いなく気管支喘息です」






医師からそう伝えられた時、安堵すると同時に落胆したことを思い出します。


それまで私は病気や薬とは無縁の生活を送っており、健康そのものであると信じていたからです。




そこで医師に言われた言葉は、今でも忘れられません。





診察の前に詳しい症状や時期などを記入する問診票があったのですが、それを読みながらいくつか質問をしたあとに彼は、




「なんでここまで我慢したんですか。あなたのような症状があったら、普通の人は20年前に病院に行っていますよ。」



「あなたの我慢する基準は普通の感覚とずれています。普通の人はこんなになるまで我慢できませんよ。」




と真剣に言われました。



さらに、



「これから苦しくなったり何かあったとき、10段階の10が一番つらいとして、あなたの感覚で3だと思ったらすぐに病院に行ってください。」



「あなたの場合、たぶん5だと遅いです。」とも。






これらの言葉には本当に驚きました。





自分がいかに痛みや苦しみを麻痺させていたのか、思い知らされました。





その医師はご自身もぜんそく患者であるため、症状の辛さを共感してもらえたことと、


ぜんそくの詳しい説明や今後の治療方針、治っていく過程などを伝えられたこともあって、


その日病院を出た時の気分はここ数ヶ月で一番軽くなっていました。




まずは最初の5日間、セレベントという気管支拡張薬を使い、


呼吸が楽になれば気管支喘息の確定診断がなされるということでした。





4へ続きます。

ぜんそくが教えてくれたこと2

私は現在、一切の薬を摂っておらず通院もしておりません。

ぜんそくの症状である呼吸困難、胸痛、胸の圧迫感、絶え間ない咳などから解放され、健康を取り戻しています。

この「ぜんそくが教えてくれたこと」では、

医者も手を焼くほど重度のぜんそく患者だった私が、

「健康を取り戻した経緯」そして文字通り

ぜんそくが私に教えてくれたこと」をお届けします。


ぜんそくにかかり、日に日に動けなくなり話せなくなっていく体に焦り戸惑いながら、ぜんそくについて希望となる情報はないか、インターネットで検索し続けたことを思い出します。


ぜんそくは一生治らない病気である、

ぜんそく患者は死ぬまで薬を摂り続けなければならない、

ぜんそく患者が薬を摂らないことは自殺行為である、

このような情報ばかりが、医師だけでなく、ぜんそくを自己研究し治療に熱心な患者本人からも多数発信されており、


反対に、私はぜんそくからこのように回復しました!という希望となる情報にはひとつも出会えませんでした。



ささやかな私の体験談が、どなたかの希望になることを願ってやみません。




それでは続きにまいります。


心臓カテーテル検査にて、冠動脈に異常がみられなかったため退院することになりました。


医師からは心療内科の紹介状をいただき、いわゆる心臓神経症の疑いとの説明がありました。


私はそれが腑に落ちなかったので、ほかに同じような症状で疑わしい病気はないか尋ねましたが、特に思い当たらないとのことでした。


検査中の激しい咳(ぜんそく発作)については医師から何も言及されず、ぜんそくの疑いはかけられませんでした。




この頃、ぜんそくの症状は日を追うごとに悪化していました。


夜は発作で全く眠れず、日中も絶え間ない呼吸困難や、かがみ込むほどの胸痛が頻繁にあったため、とても仕事をこなせる状態ではなくなり、休職を余儀なくされました。



ある日、心臓カテーテル検査を行う自らも心疾患のある医師のブログ記事を読んでいたら、ある文章が目に飛び込んできました。





「自分はぜんそくだから、この検査を受ければ死ぬかもしれないから危なくて受けられない」と。






危険な理由は、もちろん薬剤による発作です。


私はここで初めて、ぜんそく、という病名を目にしました。





あの時の激しい咳はもしかして、、、?






これがきっかけとなり、

私は呼吸器科を受診することになります。





3に続きます。

ぜんそくが教えてくれたこと1

自分のことを語るにあたり、ぜんそくを除いては語れません。



私は4年半前、ぜんそくにかかりました。



自覚症状は、断続的な息苦しさと激しい胸の痛み。


毎晩のように悪夢にうなされ、朝になるまで何度も目覚めました。


胸を刺される、胸を銃で撃たれる、胸の上に大岩を乗せられる、恐ろしい者に延々と追いかけられるなどの夢で、目覚めるといつも激しい胸痛と呼吸困難がありました。


胸を押さえてベッドから転がり落ち、うごめきながら痛みが引くまでただ耐えて過ごしました。



昼間の仕事中も異常なほどに息苦しく、少し動いただけで激しい呼吸をしていました。


また胸の真ん中から喉の奥まで、常に重たい石がぎゅうぎゅうに詰まっているような圧迫感がありました。




祖父が生前、心筋梗塞を患っていたこともあり、私はまず心臓疾患を疑って心臓の専門医にかかり、一泊二日の入院をともなう心臓カテーテル検査を受けることにしました。


これは手首の血管から心臓の冠動脈までカテーテルを挿入し、薬剤や造影剤を投与して冠動脈の狭窄などを調べるものです。

私の場合は鼠蹊部の血管から冠動脈までも同時にカテーテルを挿入しペースメーカーを装着しました。


局所麻酔のため、検査中はモニターで血管の様子を確認でき医師とも会話ができます。


「今からお薬を流しますね」
と医師から伝えられた直後、私は激しく咳き込みはじめ、全く止まらなくなってしまいました。


検査台には仰向けになっており、安静にしていなければならないのですが、激しく咳が込み上げて体が跳ね上がりどうにもなりませんでした。




今思えばこの時、薬剤によるぜんそくの発作が起こっていたのです。




気管支喘息患者は、この時投与される造影剤が発作の要因になることがあり、一般患者の10倍の副作用が懸念されるそうです。





ぜんそくについては長くなりますので、これから少しずつ記事を上げていきたいと思います。



重度のぜんそくで苦しむ多くの方が、今の私のように思いきり呼吸できる日が来ることを祈りつつ。

自己紹介

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無数に存在するブログの中から、私のブログを見つけてくださり、また自己紹介をご覧くださいましてありがとうございます!


はじめまして。愛と申します。



私は、今回の人生における誕生の記憶をもっており、新生児の頃から、両親を含め周囲の人々が話す言葉を理解していました。


世界にはあらゆる色、音、光の存在が共にあり、人間の感情や思考、動植物の意識を感じることを当然のことと受け入れていました。


私には、父と母、そして弟がいます。

両親からは肉体的、心理的、性的な虐待を受けて育ちました。

また父から母へ、心理的DVが日常的に行われる家庭でした。

幸いなことに弟だけは、一見すると両親から可愛がられて育ちましたが、父から母への暴言、姉への虐待をたびたび目撃する恐怖や苦しみをはかり知ることはできません。




私は結婚後あるきっかけを得て、心の奥に封印していた虐待の記憶がすべて蘇り、約10年間、両親と弟とは一切の連絡を断っていました。




自身の傷と死に物狂いで向き合い、真っ暗闇の泥沼世界を闇雲にさまよってきましたが、去年の秋、今まで貪るように読んできた心理書などには載っていなかった、思いがけない答えを得ました。



現在は、夫、犬さん、猫さん達とともに平和に暮らしています。



あるがままの両親、弟を愛しており、彼らと共に学んだあらゆる経験を、喜びと感謝で受け入れています。



リラックスして、ただ愛で在る幸せを感じながら、この一瞬を生きています。